たべものしょせきおでかけ

そういうはなし

京都聖地巡礼の旅〜1日目〜前編

●プロローグ

 

 今回は京都国立博物館で特別展示される(私の推しの)宗三左文字を見に行くための旅行である。せっかく京都に行くのなら、各地にある聖地を回ろうと友人であるザウリさんを誘った。

 前日の23:30に深夜バスに乗り込む。いつもより三千円ほど高いバスを選んでみたところ、三列フラットシートの快適さを知ってしまった。身体全然痛くない。7時間睡眠ばっちりすぎて超元気。もう二度と他のバスには乗れないだろう……人はこうやってダメになっていくのだ。
 7時ごろに京都駅へ到着。

 

f:id:aayyaammee:20160119212611j:image

 

 早朝にもかかわらずすでに多くの人がいた。さすが日本一の観光地京都である。私は一緒に回るザウリさんと合流し、バスの時刻まで時間を潰した。

 

 

建勲神社

 

 8時ちょうどにバスへ乗り込み目的地へ出発!

 f:id:aayyaammee:20160119212332j:image

 

 一番最初に行くのは宗三左文字の現在の実家にあたる建勲神社だ。既にテンションアゲアゲ状態で碌に判断力のない我々は、誤って遠回りのバスに乗り込んでしまう(バカ)でも気にしない!だって今から宗三くんのご実家に挨拶に行くのだもの!着ければなんでもいいわ!

 

 バスに揺られること一時間強。ようやく目的地の名が私の耳に届いた。
 微かに揺れる車からゆっくり降りると、途端に冷たい空気が頬を刺激してきた。ほぅっと真っ白な息を吐き出しながら辺りを見回すと、そこは閑静な住宅街だった。
 京都駅の喧騒が嘘のように、とても静かだった。人はほとんどおらず、いても近所に住んでいるらしき人ばかり。目を凝らせば遠くにゴミを出している人が見える。そしてその近くには、参道の入り口なのだろう、「建勲神社」と書かれたとても大きな社号標があった。彼が確かにここにいたことの、証拠だ。
 紫野は静かで落ち着いている素敵な場所だった。人々の生活の中に信仰があり、宗三くんはその中心の一つを担っているのだとよくわかる。今は違う場所にいるけれど、そこに預けられるまでの期間は、この土地で静かに穏やかに過ごせていたのだろう。それまでの彼の軌跡に思いを馳せて、涙が出そうだった。

(大きな社号標はゴミ置き場になっていたので写真は撮れませんでした)

 

 感傷に浸りながら家々の間をゆっくりと歩いていると、右手側に大きな森が現れ、すぐに茶色の鳥居が見える。建勲神社の入り口だ。

 

f:id:aayyaammee:20160119212537j:image

 

 ついに来たー!とテンションぶち上がりながら鳥居をくぐる。すると既に若い女性2人が眼レフ片手に写真を撮っていた。向こうもこちらの存在に気が付いたようで、気になりながらも無視を続けるオタク特有の距離感を双方で醸し出しつつ、我々は山に登り始める。

 

f:id:aayyaammee:20160119212725j:image

 

 拝殿のある場所までは階段を登る必要があった。その数、実に百段。そして我々はデスクワークで鈍った身体を抱えるアラサー。動かぬ脚に必死に鞭打ちながらも登っていくと、境内図を見つけた。

 

f:id:aayyaammee:20160119212926j:image

 

 広いな!?!?

 

 我々が歩いてきたのは東参道のようだ。因みに今回一緒に旅をしたたザウリさんは三度目の参拝で、その際は北参道から登ったそう。そちらも中々にヘビィだったとのこと。さすが天下人の刀を所有する神社。格が違うわ。

 

 そのまま拝殿へ向かって進んでいくと、通路左側に敦盛の石碑が現れた。

 

f:id:aayyaammee:20160119212945j:image

 

 とりあえず、歌わないといけないよね?となった元鍋クラスタは、某歌を口ずさみながら境内へと向かう(ザウリさん半笑いだった)。そして開けた場所に出ると、目の前に大きな拝殿が現れた。

 

f:id:aayyaammee:20160119213000j:image

 

 その日は見事な快晴だった。上に広がる青色と紅い紅い朱色のコントラスト。木々の間を通り抜ける冷たく澄んだ空気。風の音のみ聞こえる空間。なんだかよくわからないけれど、感極まって泣きそうになった。とにかく先に行かねばと手水で手と口を綺麗にしていざ参拝……の前に狛犬をご紹介。

 

f:id:aayyaammee:20160119213119j:image

 

 信長を祭っている神社だけあってか、紋が織田家である。この狛犬は織田の印がついてるから狛犬界では歌舞伎者なのだろうか、など余計なことを考えてしまう。

 

 そしてようやくの参拝。今回の旅の成功を祈るのと同時に、不躾に詮索することの許しを請う。さて、観察開始である。

 

f:id:aayyaammee:20160119213204j:image

 

 拝殿の内側には織田信長公三十六功臣のうち、十八功臣の額が飾ってあった(とはいえ色が褪せすぎていてそのときは一体なんなのかよくわからなかったのだが)

 

f:id:aayyaammee:20160119213231j:image f:id:aayyaammee:20160119213254j:image

 

 拝殿の後ろにある神門は少し高い位置にあり、静かにこちらを見下ろしてくる。よくわからない威圧を感じた私は緊張のあまり語彙を喪失し、すげぇかっけーとしか表現できなかった。

 

 次に、写真はないのだが手水舎の裏側にお社を見つけた。「船岡妙見社」というらしい。近くにある看板を読むと、玄武を祭っていることが書かれていた。玄武。四神のひとつ。やばい。偶然すごいところに来てしまった。やばい(再びの語彙喪失)
 ふらふらしながらも、我々は旅の最初にこの神社を選んだ理由を求めて社務所へと向かった。

 

f:id:aayyaammee:20160119213548j:image f:id:aayyaammee:20160119213608j:image

 

 この御朱印張が欲しかったんですーーー!!!

 

 ピンク!裏は桜!ありがとうございます!!!!!ありがとうございます!!!!!御朱印の字もとても力強くてかっこよかった。ようやくの御朱印張デビューに元気を取り戻した私は、軽い足取りで次の場所へと向かった。

※なお建勲神社の中には宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神を祀る末社義照稲荷神社もある。今回は時間の都合上寄ることはできなかったが、五穀豊饒や織物工芸などの生活基盤の神様がいる場所なので、次はぜひともお伺いさせていたきたい

 

 

●今宮神社とあぶり餅

 

 建勲神社から徒歩15分ほどのところに今宮神社がある。

 

f:id:aayyaammee:20160119213652j:image f:id:aayyaammee:20160119213743j:image

 

 非常に大きな神社で、結婚式やお祭りなども行われているもよう。だが我々はそのことをよく知らなかった。なおここに来ることを決めた理由は後述の「あぶり餅」である。
 朱色の美しい楼門を通り抜け、広い境内の中へ入る。いや〜マジで広い。京都の神社ってどこも広いんだな……うちの実家の寂れた神社たちとは大違いだ……としみじみ思うあやめである。

 

 少し進むと中央に大きな拝殿があり、その中に三十六歌仙の絵が飾ってあった。

 

f:id:aayyaammee:20160119213835j:image

 

 わぁ歌仙だ!と、ただの由来でしかないのわかっているものの微妙にテンションが上がる。オタクだからしょうがないと思う。

 

 拝殿をこえ本社に行き、旅の無事と餅目的で来たことを謝罪する。その後探索がてら本社の左側を歩いているときだった。ザウリさんが「あれって……」となにかを指さしたのだ。

 

f:id:aayyaammee:20160119213901j:image

 

 おおお織田ーーーーー!?!?!?

 

 なぜか織田の家紋がある。どういうことだ???と慌ててぐぐる我々。どうやらここは『織田稲荷社』という、織田信長を祀っているところということが判明した。なんだと……ふらっと来たら信長がいたよ……偶然にしてはすごいな……憑りつかれたのかもしらん……と戦々恐々とする私であった。

 f:id:aayyaammee:20160119213929j:image

 

 至る所にこのようなハートマークがたくさんついていてかわいかった。ザウリさんに教えてもらったがこれはハートマークではなく「イノシシの目」だそうで、縁起のいい模様なのだとか。後に回る神社や寺にも同じくハートがたくさんあるのが確認できた。

 一通り探索をした我々は社務所に御朱印をお願いする。ここの御朱印がすごくかわいらしい。2面で今宮祭りの傘の印だ。更に半紙にも今宮祭りの模様が入っている。今回お邪魔したところの中では断トツのかわいらしさだったので、御朱印巡りをする方はぜひ寄っていただきたいと思う。

 

 さて、参拝の後はお待ちかねのあぶり餅である。あぶり餅は今宮神社の名物で、一口サイズにちぎった餅にきな粉をまぶし炭火であぶって白みそダレを絡めているらしい。日本最古の和菓子屋だそうで、ネット記事にたくさん特集が組まれているので来る前に調べておくとより楽しめると思う。

 

f:id:aayyaammee:20160119214032j:image

 

 表参道には2軒のあぶり餅屋さんがあるが、今回は客引きのお姉さんの京都弁が非常にかわいらしかった「一和」さんにお邪魔した。外の椅子で食べることもできたが、その日はとても寒かったので、小さなお庭に面した温かいお部屋で食べることにした。

 お茶を飲みながら待つこと数分、ようやく餅が出てきた。

 

f:id:aayyaammee:20160119215002j:image

 

 なにこれやばいマジでウマい(何度目かわからない語彙喪失)一番最初に来るのはガツンとした焦げの強い香りと苦さ。だがすぐに白みそダレの甘味と塩味が追いかけてくる。ほぼ同時に白みそのもったりとした風味ときな粉の優しい味が広がっていき、とろりと柔らかい餅が歯に食い込んでくる。

 「なにこれ!?」「めっちゃおいしい!」とバカみたいに同じ言葉を繰り返しながら、ものすごい勢いで食べ始める食い気の塊×2。結構な量に見えたのだが、5分もしないうちに皿は空になってしまった。

 

 疲れが一気に吹き飛んだ我々は、小休憩の後に次の目的地へと向かうことにした。

 

 

大徳寺の高桐院

 

 今宮神社から少し下ったところに大徳寺という非常に大きなお寺がある。ここはかなり戦国武将たちと所縁のある地で、例えば秀吉と利休が大喧嘩して絶交した場所、利休のお墓、前田利家織田信長大友宗麟菩提寺などなど、めっちゃたくさんあるのだ。

 できることならば全ての場所を回ってみたいところではあったが、時間の関係上一ヵ所しか回れないので今回は「高桐院」のみお邪魔することにした。

 

 「高桐院」は、歌仙兼定の持ち主である細川忠興が建てた寺である。中には忠興とその正室のガラシャの墓と、歴代の細川家の墓もある。今回は刀剣乱舞に重きを置いた聖地巡礼であったためここを選んだ。

 

f:id:aayyaammee:20160119220804j:image

 

 竹林の中にひっそりと佇むお寺は静寂そのものだった。先ほど見てきた黒と金と朱色の空間とは全く異なり、木々と苔の緑の世界が広がっている。あまりの光景に私は言葉を失った。

 

f:id:aayyaammee:20160119220720j:image f:id:aayyaammee:20160119220742j:image

 

 石畳の上を一歩、一歩、ゆっくりと歩みを進めていく。なにか特別なものがあるわけではない。竹や紅葉などの木々の間に、びっしりと苔が生えているだけだ。それだけなのに、現実ではないような感覚に陥る。均整の取れた苔たちがこんなに美しいなんて私は知らなかった。

 

f:id:aayyaammee:20160119221355j:image

 

 藁葺きの屋根にも苔が生えていた。ここに眠る彼らが生きていた時代と、なんら変わらないものがあるのだと実感し、胸が締め付けられる。息絶え絶えになりながらも、私たちは更に置くへと進んでいった。

 入場料を払い中へと入ると、目の前にいくつもの木々や草が生い茂る日本庭園が見えた。

 

f:id:aayyaammee:20160119221607j:image

 

  紅葉が多いようなので、秋には真っ赤な美しい世界になるのだろう。秋にもう一度来たいと思った。

 さて、お墓へ行く前にまず中の探索をせねばなるまい。
 
f:id:aayyaammee:20160119222005j:image f:id:aayyaammee:20160119222036j:image
 
 室内は庭と同様大きな派手さはない。だが部屋や照明などの装飾にはセンスの良さが感じられる。金ぴかで絢爛豪華な装飾も嫌いではないが、こういった品のよいもののほうが私好みである。
 中にあるお仏像様の前へ行き、不躾に歩き回ることと写真を撮らせてもらうことをご了承いただく(ほぼ事後報告だけど)その後に向かった茶室の床の間には「一鳥啼山更幽」と書かれた掛け軸が飾ってあったのだが、「鳥」の字がかわいい鳥の絵になっていた。住職さんの作品らしく、そのお茶目さにめっさ和んだ(笑いすぎて写真撮り忘れました)(ググれば出てくるので見てみて)
 

f:id:aayyaammee:20160120110845j:image

 
 正面は広い庭になっている。先ほど見かけた庭園と違い、こちらは灯篭が一つあるだけだ。赤い布に座りながら苔色の世界をぼんやりと眺めているのはとても素敵な時間だった。
 
 いよいよ墓へ向かおうと、庭に下りる。
 
f:id:aayyaammee:20160119221543j:image
 
 庭を歩いていると妙なものを見つけた。
 
f:id:aayyaammee:20160120110512j:image f:id:aayyaammee:20160120110543j:image
 
 さすが虎を倒したこともある加藤清正。上司に石をプレゼントするなんて、度胸ありすぎだろう。絶対嫌がらせだ。そこにしびれる憧れる。でもなんか忠興喜んじゃってるし。なんで参勤交代のときも持ち歩いてるの?宝物なの?もうこの人よくわかんない……とりあえず石運び係になった人の心中をお察しするわ……。
 
 そのまま進んでいくと、庭の奥にようやくお墓を見つけた。
 
f:id:aayyaammee:20160120110612j:image f:id:aayyaammee:20160120110920j:image
 
 珍しい灯篭のお墓だった。供えてあるお花も水仙で、すごく忠興らしいような気がした。
※さすがにそこに遺歯があるので写真を撮る前に全力でお祈りしました。もう土下座レベルで。
 ガラシャと忠興が一緒のお墓に入っているところが、実にこの夫婦らしいと思う(夫婦が一緒の墓になっているのは稀な気がしたので)。死後もこのモラハラヤンデレ男に振り回されているだろう彼女のことを考えると、同じ女として同情を禁じ得ないのである。
 
f:id:aayyaammee:20160120110637j:image
 
 お墓の周辺もやはり苔が密集して生えている。枯れた木の幹の上に苔がむし、その下から新たな芽吹きが出ている場所があった。なんだか感動的な光景だ。だいだらぼっちみたい。
 因みにこの奥には歴代細川家当主の墓もある。なぜ忠興だけ別なの……しかも嫁さんと一緒……ちょっと面白くて笑ってしまった。
 
 時間も迫っているため入り口に戻った我々は、先ほどとは逆の右側の廊下を進んでいく。
 
f:id:aayyaammee:20160120110938j:image
 
 薄暗い空気が漂っていた。妙に寒いし……日陰で気温が低いせいなのだろうか?そんなことを考えながら冷える身体を擦りながら歩いていくと……。
 

f:id:aayyaammee:20160120110959j:image

 

 ぎゃあああああああああああ!!!!!!!!

 
 怖い!とにかく怖い!写真では分かりにくいだろうが、壁から天井まで染みだらけで、それらがさらに酸化して灰色なのだ。まるで廃墟のよう。かなり異様な光景だった。いきなりのことで二人揃って腰が抜けそうになる我々。
 近くにある説明書きを読むと、移築された利休の部屋であることが判明した。これはわざとなのだろうか?これが侘び寂びというものなのだろうか?ほんとに?ただそのままにしてるだけでなく?中々に不気味だったのでヒヤリとしたい人にはおすすめのスポットである。
 
 よろよろしながらも先に進んでいくと、今度は小さな部屋に行き着いた。
 
f:id:aayyaammee:20160120111043j:image f:id:aayyaammee:20160120111150j:image
 
 細川忠興の作った茶室であった。おおお!と感嘆の声を漏らす我々。真昼間だというのに光は差し込まずかなり薄暗い。壁は黒色で、茶室にしては珍しい色のような気がする。後で調べたところ、ここは豊臣秀吉の催した北野大茶会の際に忠興がつくった茶室を移築したものらしいことがわかった。結構すごい茶室であるもよう。
 ただ正直言って、すごくわかりにくい場所にある。なんでこんなところに移したんだ……見逃している人たくさんいるぞ……さすが忠興、残念イケメンなだけある。元々ネタキャラとして見ていた忠興の扱いがより雑になっていくあやめであった。
 
(後編へ続く)