たべものしょせきおでかけ

そういうはなし

京都聖地巡礼の旅〜2日目〜前編

●移動する前の準備

 

 巡礼者の朝は早い。まずは(以下略)

 

 7時に起床した我々は、すぐさま身づくろいを開始。ゲストハウスの寝室は共同部屋であり、私たち以外のお客さんはまだ眠っている。着替えを済ました後静かに共同部屋へ向かうと、すでに私たちより早く起きていた人たちが出発の準備をしていた。

 共同部屋は男女混合のため、大学生と思われる若い男女グループに交じりながらアラサー×2は整形を開始していく。こんな若い子たちにすっぴん晒す機会も珍しいなぁと、ぼんやり思った朝なのであった。

 

 

出町ふたばの豆餅と鴨川デルタ

 

 昨晩見つけられなかった義経と弁慶の像を見ながら、京阪線清水五条駅に向かう。そして電車に乗って3駅、出町柳駅へと到着した。出町柳といえば京都大学の最寄り駅として有名だ。しかし我々は、頭の良さそうな学生さんたちの流れに逆らい反対方向へと向かっていく。なぜなら、朝ごはんが待っているからだ。

 

 出町柳駅を出て徒歩5分。これを楽しみに京都に来たといっても過言ではないお店に到着した。

 

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 出町ふたばというこのお店、以前京都旅行に来た際に友人に紹介してもらったお店なのだが、豆餅が大層うまい。お世辞抜きでうまい。私が今まで食べてた豆大福は豆大福という名の別物だったのではないかと思うほどにうまい。

 ここは大変な人気店ですぐに長蛇の列ができてしまうのだが、開店直後は朝早くということもありそこまで並ぶことはない。その穴場の時間を狙って我々はやってきたのだ。

 

 予想通りそこまで待つことなく一人頭豆餅2つと桜餅1つを購入できた我々は、ホクホクしながら河川敷へと向かう。鴨川が眺められる絶好のベンチに座りながら、待ちに待った朝ご飯を食し始めた。

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 二人とも無言で食い続けた。ただ、食べることに集中するしかなかったのだ。それほどまでにおいしい。ここの豆餅を食べないことは人生の損だと思えるほどにおいしい。

 

 具体的に言うと、まず餅がものすごく柔らかい。むにょーんてなるんですよ、むにょーんって。さらにもち米のいい香りがする。その辺のコンビニの豆大福なんかじゃあ絶対に味わえないもち米の香り。そんな餅の触感と香りを楽しんだ直後、やってくるのがこしあん。元々甘いこしあんに豆の塩味が加わってガツンとした甘さとなって舌を襲う。そしてそのままかみ砕くと、途端に感じるのが豆自体の味だ。なにがおいしいのかはっきり言えないがこの豆がうまい!すごい豆の味がするのに他を邪魔しない!

 人間はおいしいものを食べるとバカになると聞くが、私も例に漏れず「なるほど、すごい、うまいな、なるほど」と同じ事ばかり繰り返すバカになってしまった。あと桜餅もめっちゃおいしかった。あやめ、この桜餅すき(バカ)

 

 朝早く食べるにしては多い大福2つに桜餅1つは、10分もしないうちに胃袋の中へと治まっていった。いつの間にか空になった容器を見ながら「またこの大福を求め悶々とする日々が始まったか……」と思う。次の京都旅行はいつにしようかな?

 

 食事を終えた我々は次の目的地へ行くため駅へと向かう……途中に実はもう一つ聖地があったりする。

 

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 森見登美彦先生の四畳半神話大系に度々出てくる鴨川デルタだ。まぁ京大を舞台にしている話なだけあって、出町柳全体が聖地状態ではあるのだが(先ほどの出町ふたばもアニメでは背景に写っていたらしい←覚えてない)。私はここのデルタでコンパしてるクソ野郎どもに一泡ふかせようとする話が大好きなので、出町柳に来るときはついつい眺めてしまうのだ。いつか四畳半神話体系のみの聖地巡礼に来てみたい。

 

 

●相槌稲荷神社

 

 電車を乗り継ぎ東山駅へ。そこから歩いて数分の場所に相槌稲荷神社がある。

 ここは「お偉いさんの依頼で刀を作ることになった三条宗近が成功祈願のお参りに来たら急にお稲荷さんが現れて『この相槌を使うがよいぞ』とラッキー☆アイテムの相槌を寄越してくれたので、それ使って刀作ったら子狐丸ができました(意訳)」という超太っ腹のお稲荷さんがいる神社である。

 

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 後述の粟田神社のほぼ目の前にあるこの神社、正直言ってすごく見つけにくい。住宅街のど真ん中にある。どれくらいわかりにくいかというと

 

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 (京都においては至る所で見られる)ごく普通のお稲荷さんと大して変わらないのだ。しかも鳥居の先に見えるのは普通の家だ。鳥居のみで終了かと思い立ち去ろうとした私を引き留めたザウリさんはこう言った。

 

「まだあるよ?」

 

 まじでか。どこにだよ、と不審がる私を引き連れザウリさんはどんどん先に進んでいく。鳥居をこえて左に曲がり、明らかに民家の私有地っぽい場所を潜り抜ける。すると突然、お社が現れたのだ。

 

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 まじでか(2回目) 

 

 わかるか!絶対最初で引き返した人いたわ!

 お正月明けだからだろうか、思っていたよりも綺麗にされていて地元の人に愛されていることがよくわかった。信仰とは無縁の現代社会においても、このような文化が残っているのはとても素晴らしいように思う。

 びっくりするレベルで民家のど真ん中に鎮座しているので、参拝に来る際はお静かにお願いします。

 

 

●粟田神社と鍛治神社と小鍛冶

 

 相槌稲荷神社から道路を挟んで反対側に、三条宗近・粟田口吉光に所縁のある粟田神社がある。我々が到着したとき、ここでちょうどおばさま方がラジオ体操していてなんだか面白かった。

 

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 大きな鳥居をくぐって先に進んでいくと再び鳥居が現れる。

 

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 ドンと構えるその姿に思わず「かっけ~~~!」と声が漏れる。しかし奥に見える嫌な予感は……やっぱり、結構急な階段だ。

 前日に引き続きへぇこら息を切らしながらも登るアラサー。苦行。ほんと苦行。きっと藤四郎兄弟はサクサク登っていくんだろうな……それで一兄だけ置いてけぼりにされてたらかわいいと思う。

 

 到着した粟田神社だが境内はかなり広く、また木が生い茂っていて少し薄暗く肌寒い。早朝ゆえの静けさも相まって、神聖な地の貫禄のようなものをを感じた。

 さあ参拝を!と思って前を向いた途端、神社の雰囲気には合わないものが見えた。

 

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 なにこれめっちゃかわいい。

 藤四郎ちゃんたちがやったの?なんなの?もうやだかわいすぎて耐えられない(語彙崩壊)

 壊れかけながらも手水舎にたどり着くと、またもや気になるものを見つけた。

 

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 龍の口から水が出るなんてかっこよすぎだろう。しかも全自動だ。すごい。誰がやったんだ。鯰尾か?好きそうだもんな。

 数あるトラップを潜り抜けようやく辿り着いた社殿は、非常に雄々しいお姿だった。

 

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 参拝をし、本日中に秋田藤四郎と骨喰藤四郎に会いに行くことを告げる。どうぞそれまで旅のご加護を……と祈った。まさかこのお願いが叶うなど思いもしなかったのだけれど。

 どこかに刀が飾られていると聞いていたのだが、その時はすっかり忘れていて調べもしなかった。次こそは見つけに行こう。

 またこの神社の中には多くの摂社がある。それらを順に回っている際、ザウリさんがぜひあやめさんに来て欲しかったと薦めてくれたのが、「出世恵美須神社」である。ここには義経が源氏再興を祈願した美須神様の像が祀られているそう。予想外の出会いに喜ぶ私。お祈りの効果がすでに現れていたのだろうか。

 

 粟田神社と同じ敷地にあるのが三条宗近・粟田口吉光、それから鍛冶の神様(天目一箇神)を祀っている鍛冶神社がある。

 

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 ちょっとわかりづらい場所にあるので、粟田神社に来る際は見逃さないように注意していただきたい。

 

 参拝を終えた我々は駅へと戻る。その途中に、一ヵ所だけ寄るところがあった。吉水園さんという和菓子屋さんだ。

 ここには「小鍛冶」という三条宗近をイメージした焼菓子がある。形も刀の鍔を模っているという徹底ぶり。中ではあんみつなどもいただけるよう。先ほど大福を食べたばかりなのでさすがに頂くことはできなかったが、次の参拝の後には是非とも一服させていただこうと思う。

  ここでは小鍛冶、季節の上生菓子、和三盆を購入した。

 

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 家に帰って食べたところ、どれもとてもおいしかった。特に小鍛冶は白あんの中に柚子が練り込まれており、甘味と香りのハーモニーがなんとも言えず食欲をそそる。1つなんてケチらず3つぐらい買って帰ればよかった……と後悔する食い気の塊であった。

 

 

三条大橋

 

 嵐山から一駅戻り京阪三条駅で下車。地下からの階段を上ってすぐ目に付くのが、三条大橋だ。

 刀剣乱舞ではア○ルパールマップとして一時期話題になった場所。マップそのままの形をしているので、歩くだけでも結構楽しめる。

 

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 正面右に見えるのが、ボスマス手前で右に逸れて強制終了してしまうイライラ地点のスタバだ。私は仕事の都合上出張でよく三条に来るのだが、ここのスタバでのんびり鴨川を眺めながらコーヒーを飲むのが日課だったりする。景色がいいのでお勧めだ。 
 
 

高瀬川

 三条大橋を渡って少し行くと、高瀬川という小さな川が現れる。
 今でこそ小さいが、かつてはそこそこの広さを有しており、京都の河川運輸に欠かせない重要な川だった。そのため京都を舞台にした作品では度々この名が登場する。その中で私が一番好きなのが森鴎外の「高瀬舟」だ(昨年に極上文学で舞台化していたのでご存知の方は多いかと思う)

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――年寄衆がおいでになって、役場へ連れてゆかれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます。
 
 私は川を眺めながら、不憫という言葉では到底表現できない哀れな喜助が船で運ばれていく姿を、ぼんやりと想像したのだった。
 
 

池田屋事変跡

 
 さてそこから少し先に進んだところに、刀剣乱舞でもマップになった池田屋事変の跡地がある。 
 
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 池田屋事変については説明不要と思われるので割愛する。
 高校時代、『新撰組異聞PEACE MAKER』の吉田稔麿の大ファンで、今でもかなり引きずっているところがあるため出張の都度ここにお参りをして帰っている。今回も刀剣乱舞というよりは、吉田稔麿への聖地巡礼としてやってきた。
 
 ここには昔から「池田屋事変の跡地に店を出すとすぐ潰れる」という噂があり、現代に至るまでコロコロお店が変わっているそう。現に初めて来た約十年前はパチンコ屋だったのだが、数年前に倒産し、暫くの売地のあと今の店に変わった。
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 それがまさかのはなの舞なので、めちゃくちゃ面白い。お店は「池田屋」という名前になっており、メニューも女オタ向けのラインナップと聞いているので今回は長く続くんじゃないかと見込んでいる。一度飲みに行ってみたいものだ。

 (後編に続く)

京都聖地巡礼の旅〜1日目〜後編

龍安寺と西源院の精進料理&湯豆腐

 
 あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!おれは竜安寺前行きのバスに乗ったと思ったら、いつのまにか京都駅前行きのバスに乗っていた。な…何を言って(以下略)
 
 京都の市バスは複雑でわけがわからない。今自分のいる場所がどこなのかすらさっぱりだ。初心者に全く優しくない仕様で、まさかこれが一見さんお断りというものではないかと思わず考えてしまった。
 京都からの洗礼を受けつつなんとか立命館大学前まで辿り着いた我々であったが、そこから先のバスにはまだ時間があった。地図を見ると少し歩いたところにあるようだったので、そのまま散歩がてら龍安寺まで歩くことにした(しかしこれまた微妙に遠かった)
 
 さてこの龍安寺に行った理由は、お昼ご飯のためだ。お寺の中に「西源院」という庭園を眺めながら湯豆腐を食べれる場所があると聞いた我々は、ここへ行こうと決めていたのだ。
 本来であればお参りした後に向かうべきなのだろうが、お腹がすきすぎてどうしても我慢ができず、申し訳ないと思いつつも先にご飯をいただくことにした。
 
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 龍安寺はとても広いお寺だった。中央に非常に大きな池があり、池の周囲には桜や紅葉の木がたくさん植えられている。きっと春と秋に訪れたら、素晴らしい光景に出会えるのだろうと思う。
 
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 通常ルートを逆走してたどり着いた西源院は、門構えがいかにもな感じで心が躍る。手入れの行き届いた庭の中を進みながら期待値はどんどん右肩上がり。
 ちょうど混雑する時間帯より少し前だったこともあり、今回は運良く窓際の席に座ることができたので、食事が来るまでしばし正面の庭を眺めていた。
 
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 鳥が多い寺なのだろうか、庭には鳥の置物がたくさんあった。また山鳥が何匹か木に留まって羽を休めている。のんびりとしたいい場所だった。
 そしてようやく、お待ちかねのお食事タイム!頼んだのは精進料理と湯豆腐のセットである。
 
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 精進料理は少し濃いめの味付けで、ご飯にとてもよくあった。湯葉と野菜の煮物はよく味が染みこんでいるし、山菜は歯ごたえがよく、大根の甘酢漬けと湯葉の練り胡麻和えがいい感じで味にバリエーションを持たせている。そして何より胡麻豆腐だ。柔らかく脂の多いトロッととろける胡麻豆腐。胡麻の香りの後からはワサビのツーンとした刺激が追ってくる。あまり食べる習慣がない食べ物なので、美味しくてたまらなかった。

 そして七草湯豆腐は……なんというか、でかい。2人前のはずなのに普通の土鍋で出てきた。食べきれるだろうか、という不安に駆られた。さっそく出汁醤油を大根おろしとしょうがなどの薬味が入った器に入れ、柔らかい絹豆腐を掬って入れてみる。そして箸を差し込み、一口ほおばる。
 ふおおおおおおおおおおおお!!!
 なにこれ~~~お豆腐めっちゃおいしい~~~!じゅんじゅわぁと出てくる汁と、口の中に入った瞬間消えていくお豆腐。醤油は出汁がきいているし、薬味の刺激が食欲をそそる。めっちゃうめ~~~と、美しい庭など完全無視でものすごい勢いで食べ始める花より団子な我々。食べきれないだろうと思っていた鍋は、あっという間に空になった(私に至っては汁を出汁醤油で味付けして啜っていた。おいしかった)

 

 さて、時間もあまりないのでお寺のほうへと移動を開始する。龍安寺世界文化遺産だけあってか、外国人観光客の姿が多く見られた。なおこのお寺で有名なのはこの枯山水

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 水はないけれど線で水を表現しているとか?こういったものに欠片も興味のない私ではあるけれど、とにかくすごいんだなぁということはよくわかった(バカ)それよりも私が心惹かれたのはこちらの方丈の襖である。
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 龍(切れてるけど)と朝鮮の金剛山が3つの部屋にまたがって襖に描かれていて、かなり圧巻の光景であった。
 
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 また散策中に侘助椿という椿を見つけた。看板に書いてある文字から朝鮮出兵時に秀吉が持ってきたのかと思ったが、後から調べたら持ってきたのは侘助という人物で、それを秀吉が絶賛したのだとか。ザウリさん嘘言ってごめんね。
 
 これ以外にも徳川光圀が寄贈したつくばいがあるなど、見どころは多い。個人的には広すぎる池が気に入っている。カモと鵜と鷺がいた。かわいかった。
 
 

金閣寺

 次に向かったのは金閣寺である。正式名称は鹿苑寺。言わずと知れた足利義満のお寺である。だが私は室町時代にあまり興味がない。ここには歴史関係ではなく「三島由紀夫金閣寺」の聖地としてやってきたのであった。
 
 金閣寺は修学旅行先としても選ばれる率が高いお寺No.1であるが、私は一度も来たことがなかった。写真を見るととても美しいように思える。しかし行ったことのある人に聞いてみると、綺麗なお寺だと言う人もいれば、思ったほど綺麗じゃなかったと言う人もいる。綺麗なの?綺麗じゃないの?その回答を求めて読んだ金閣寺で私は余計混乱に陥っしまう(しかも三島先生にどハマりする羽目になった)この目で確かめてみたいと、長い間そう思っていた。

 大量の観光客に混ざりながら「美しくなかったら燃やすわ~」などと不穏な話をしつつ向かう。金閣寺の主人公が娼婦の腹を踏みつけたであろう場所を通り抜け(ちなみにここ私の一番好きなシーン)、入園料を払う。するとなぜか御札が付いてきた。い、いらねぇ……こういう取扱いに困るものを安売りして……どうすればいいっていうの……と思っていたら近くに不要な場合の御札を入れる箱があった。まるでゴミ箱のようで笑ってしまった。

 中国人団体客をかき分けながら先へと進んでいくと、ようやく念願の舎離殿の姿が現れる。
 
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  私は思わず息を飲んだ。厚い雲が日の光を遮断しているせいで辺りは少し薄暗く、周囲の山々や樹木が深い色へと落ちていた。にもかかわらず、その中央にそびえ建つ舎離殿は美しい黄金色に輝いている。更には深緑色の池にも見事に色が移り込んでいるではないか。とても美しい光景だった。
 
 よかった。燃やさなくてすんだ。と、小さく安堵したのは内緒だ。

 その後は義満の盆栽の松を見たり(結構でかかった)、お高めツアーの後ろをついて歩きちゃっかり説明を聞いたり、私と鶴川が休日に出掛けもせず金閣寺を眺めていた場所はここかなぁと物思いにふけるなど、満喫度はかなり高かった。

 また金閣寺の中にあるお茶屋さんにて小休憩もする。
 
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 茶菓子に金閣寺が浮き出ており、更には金箔が付いている。なんということだ!金閣寺は燃やさずに済んだけど、かわりに食べてしまった!中に入ってた塩大豆がとても美味しかったです。
 
 

●本能寺跡と信長茶房

  次に我々が向かったのは本能寺……の跡地の方である。現在本能寺は本能寺の変後に建てられたものだそう。宗三左文字が燃え盛る炎の中でその美しさを散らした場所に行くのならば、やはり跡地であろう。(なお信長が本能寺に義元左文字を持って行ったかどうかは諸説ある)(個人的には持って行っててほしい派です)(燃えたという点と、そのあと秀吉が探し出したという点を踏まえて)
 
 さて、優秀だけどハゲ散らかしてたせいで不本意に弄られキャラになってしまった部下の怒りがついに爆発し、モラハラブラック上司とその一派をぶっ殺すという修羅場が起きた場所の現在の姿がこちら。
 
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  場所が住宅地のど真ん中すぎて一瞬見逃してしまった。真後ろは普通のアパートだ。本能寺の変の場所に建つアパートなんて……なんだが呪われそうだから住みたくないなぁと失礼なことを考えてしまうあやめであった。
 
  本能寺跡からほどなくした場所に「信長茶寮」という店がある。旅行の計画中、ザウリさんから「HP見てもよくわからないんだけど、信長の慰霊碑がある場所があるんだよ」と教えてもらったのがここだ。私もHPを確認してみたが、確かによくわからない。信長と漫画のコラボ?という割には漫画は北斗の拳で有名な原先生のみピックアップしているよう。いろいろなイベントもやっているようだが……???と謎が深まるばかりであった。行って確かめてみよ~!と向かったところ
 
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  住宅街にいきなり現れる面白そうな建物。蒼天の拳(でいいのかな?)ののぼりと自販機の存在感たるや如何とも表現しがたい。「めっちゃ信長~www」と草不可避状態になりながら我々は中へと進んでいく。入場料を払い慰霊碑のある地下へと進むと……
 
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 なんかある。
 
 え?石?石だよね?と疑問が頭の中を埋め尽くしていく。ちょうど近くに説明書きがあったので読んでみた。
 
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 つまり、傍若無人信長様が部下たちに石を見せて「これ俺だと思えよ!」と安土城のてっぺんに置いてきた出来事をリスペクトして、安土城跡から石もらってきたってことか。信長よ、わかってはいたがとんだジャイアンだな。てかまた石かよ。忠興といい信長といいお前ら石好きだな。当時のDQNは石持つのがステータスなの???
 
 ちなみに上の写真に写りこんでいる本能寺の変の焦土だが、売店にこの焦土入りのお守りが売っていた。もしかしたら薬研藤四郎の残りカスや武将の残りカスが手に入るかもしれないので、本能寺(で死亡した人の)クラスタにはぜひご購入をオススメする。
 また近くには信長の所有していた刀の模造刀(長谷部と薬研がいた)があったり、絵馬置き場もあった。絵馬にはめっちゃ薬研と宗三がいた。皆様さすがです。また入口で赤・白・黄のいずれかの丸ロウソクをいただける。それに火を灯し慰霊碑のある池に浮かべると、運気がアップするようだ。私は金運の黄色を選んで放流した。
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 なんだろう……本能寺に火を放ってしまった……絶対呪われる……。
 
 

五条大橋松原橋

 

  今回宿泊した宿は五条にある。ラッキーなことに、宿から歩いて1分のところに五条大橋があった。五条橋と言えば、弁慶の泣きどころで有名な「牛若丸と弁慶伝説」の地である。五条大橋の手前には二人の対決シーンのかわいらしい像も建っているらしい。
 チェックイン後すぐに、その像を求めて行ってみたのだが……おかしい。像が見つからない。既に辺りは真っ暗で、いったいどこにあるのかさっぱりわからなかった。橋を一往復しても見つからなかったので早々に諦めることにした我々は、次へと向かった。
※翌日普通に見つけました。めちゃ分かりやすい場所にありました。バカだった(写真失念)
 
 さて本日最後の目的地はこの松原橋である。
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  実は先程の五條大橋、近年に建てられた橋だそうで、牛若と弁慶が対峙したのはこちらの松原橋(元五条橋)とのこと。車一台が通れる程度のとても小さな橋だった。
 20年前に義経に一目ぼれして歴史沼に頭からダイブした私にとって、ここは最大の聖地でもある。「刀おいてけー!さもなくば切る!」「やってみろこの木偶の坊!」的なことを言い合いつつ、我々は橋を往復する。義経が立っていたであろう手すりの部分を触っては「ここでヘドバンしたら義経踏んでくれるかなぁ(※バンドパロ)」と妄想するなど、ものすごく楽しかった。
 
 
 さて、本日の聖地巡礼はこれで終了。
 以下は聖地とは関係ない蛇足的な話である。
 
 
*補足
 松原橋からの帰り、お腹が空いた我々はふらりと近くにあるおばんざいのお店「くろこ」さんに入った。カウンターのみの店で、中にはどう見ても常連の地元客しかいない。やばいところに入っちゃったかな……と思うも、さすがに出ていくわけにもいかず案内してもらう。しかしこれが大当たりであった。
 元俳優、元女優のご夫婦が営んでいるそのお店はとてもアットホームで、冷やかし客にも近い私たちを温かく受け入れてくれた。ちょこちょこ注文内容を忘れる気のいいママが「おまっとさんです~」と出してくれるおばんざいはどれもおいしい。無口でとっつきにくそうなお父さんは実はとても優しくて、「食べてる?」とちょいちょい顔を出しては気にしてくれる。偶然隣に座っていたご年配の女性の方は十年以上ここに通っている常連さんで、とっても素敵なお話を私たちにしてくれた(あと焼き銀杏くれた※写真参照)
 
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 ずっと喋って笑っての楽しい2時間だった。遠い地に来てこんな出会いがあるなんて、私たちは運がいい。御朱印の効果がさっそく発揮されたかのだろうか。すごいな。
 
 またその日泊まったお宿は「パンとサーカス」さんというゲストハウスである。
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 町家をものすごく前衛的でアーティスティックに改造したお宿だった。中にはかっぴょいい絵が至る所に飾ってあり、また椅子などの調度品もアンティークな雰囲気でとても素敵だ。階段には私とザウリさんの大好きな古い植物図鑑の絵が飾ってあり、一気にテンションが上がる。また喫煙所は奥まった場所にあり、行くたびに探検ごっこをしているようでワクワクした。また1階はカフェバーになっており、ここのディスプレイもかなり凝っている。私のようなサブカルチャー気味の人はかなり心躍る仕様であった。お酒はくろこさんでいただいてしまっていたので、今回はコーヒーをいただいた。おいしかった。
 二階が寝室になっており、共同の部屋と、男部屋、女部屋に分かれている。二段ベッドになっていて、ベッドも布団もふかふかだ。シャワーを浴びたあと少しだけ喋っていたのだけれど、旅の疲れから早々に限界を迎えた我々は、すぐに夢の国へと旅立っていった。
 
 
(2日目に続く)

京都聖地巡礼の旅〜1日目〜前編

●プロローグ

 

 今回は京都国立博物館で特別展示される(私の推しの)宗三左文字を見に行くための旅行である。せっかく京都に行くのなら、各地にある聖地を回ろうと友人であるザウリさんを誘った。

 前日の23:30に深夜バスに乗り込む。いつもより三千円ほど高いバスを選んでみたところ、三列フラットシートの快適さを知ってしまった。身体全然痛くない。7時間睡眠ばっちりすぎて超元気。もう二度と他のバスには乗れないだろう……人はこうやってダメになっていくのだ。
 7時ごろに京都駅へ到着。

 

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 早朝にもかかわらずすでに多くの人がいた。さすが日本一の観光地京都である。私は一緒に回るザウリさんと合流し、バスの時刻まで時間を潰した。

 

 

建勲神社

 

 8時ちょうどにバスへ乗り込み目的地へ出発!

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 一番最初に行くのは宗三左文字の現在の実家にあたる建勲神社だ。既にテンションアゲアゲ状態で碌に判断力のない我々は、誤って遠回りのバスに乗り込んでしまう(バカ)でも気にしない!だって今から宗三くんのご実家に挨拶に行くのだもの!着ければなんでもいいわ!

 

 バスに揺られること一時間強。ようやく目的地の名が私の耳に届いた。
 微かに揺れる車からゆっくり降りると、途端に冷たい空気が頬を刺激してきた。ほぅっと真っ白な息を吐き出しながら辺りを見回すと、そこは閑静な住宅街だった。
 京都駅の喧騒が嘘のように、とても静かだった。人はほとんどおらず、いても近所に住んでいるらしき人ばかり。目を凝らせば遠くにゴミを出している人が見える。そしてその近くには、参道の入り口なのだろう、「建勲神社」と書かれたとても大きな社号標があった。彼が確かにここにいたことの、証拠だ。
 紫野は静かで落ち着いている素敵な場所だった。人々の生活の中に信仰があり、宗三くんはその中心の一つを担っているのだとよくわかる。今は違う場所にいるけれど、そこに預けられるまでの期間は、この土地で静かに穏やかに過ごせていたのだろう。それまでの彼の軌跡に思いを馳せて、涙が出そうだった。

(大きな社号標はゴミ置き場になっていたので写真は撮れませんでした)

 

 感傷に浸りながら家々の間をゆっくりと歩いていると、右手側に大きな森が現れ、すぐに茶色の鳥居が見える。建勲神社の入り口だ。

 

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 ついに来たー!とテンションぶち上がりながら鳥居をくぐる。すると既に若い女性2人が眼レフ片手に写真を撮っていた。向こうもこちらの存在に気が付いたようで、気になりながらも無視を続けるオタク特有の距離感を双方で醸し出しつつ、我々は山に登り始める。

 

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 拝殿のある場所までは階段を登る必要があった。その数、実に百段。そして我々はデスクワークで鈍った身体を抱えるアラサー。動かぬ脚に必死に鞭打ちながらも登っていくと、境内図を見つけた。

 

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 広いな!?!?

 

 我々が歩いてきたのは東参道のようだ。因みに今回一緒に旅をしたたザウリさんは三度目の参拝で、その際は北参道から登ったそう。そちらも中々にヘビィだったとのこと。さすが天下人の刀を所有する神社。格が違うわ。

 

 そのまま拝殿へ向かって進んでいくと、通路左側に敦盛の石碑が現れた。

 

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 とりあえず、歌わないといけないよね?となった元鍋クラスタは、某歌を口ずさみながら境内へと向かう(ザウリさん半笑いだった)。そして開けた場所に出ると、目の前に大きな拝殿が現れた。

 

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 その日は見事な快晴だった。上に広がる青色と紅い紅い朱色のコントラスト。木々の間を通り抜ける冷たく澄んだ空気。風の音のみ聞こえる空間。なんだかよくわからないけれど、感極まって泣きそうになった。とにかく先に行かねばと手水で手と口を綺麗にしていざ参拝……の前に狛犬をご紹介。

 

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 信長を祭っている神社だけあってか、紋が織田家である。この狛犬は織田の印がついてるから狛犬界では歌舞伎者なのだろうか、など余計なことを考えてしまう。

 

 そしてようやくの参拝。今回の旅の成功を祈るのと同時に、不躾に詮索することの許しを請う。さて、観察開始である。

 

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 拝殿の内側には織田信長公三十六功臣のうち、十八功臣の額が飾ってあった(とはいえ色が褪せすぎていてそのときは一体なんなのかよくわからなかったのだが)

 

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 拝殿の後ろにある神門は少し高い位置にあり、静かにこちらを見下ろしてくる。よくわからない威圧を感じた私は緊張のあまり語彙を喪失し、すげぇかっけーとしか表現できなかった。

 

 次に、写真はないのだが手水舎の裏側にお社を見つけた。「船岡妙見社」というらしい。近くにある看板を読むと、玄武を祭っていることが書かれていた。玄武。四神のひとつ。やばい。偶然すごいところに来てしまった。やばい(再びの語彙喪失)
 ふらふらしながらも、我々は旅の最初にこの神社を選んだ理由を求めて社務所へと向かった。

 

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 この御朱印張が欲しかったんですーーー!!!

 

 ピンク!裏は桜!ありがとうございます!!!!!ありがとうございます!!!!!御朱印の字もとても力強くてかっこよかった。ようやくの御朱印張デビューに元気を取り戻した私は、軽い足取りで次の場所へと向かった。

※なお建勲神社の中には宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神を祀る末社義照稲荷神社もある。今回は時間の都合上寄ることはできなかったが、五穀豊饒や織物工芸などの生活基盤の神様がいる場所なので、次はぜひともお伺いさせていたきたい

 

 

●今宮神社とあぶり餅

 

 建勲神社から徒歩15分ほどのところに今宮神社がある。

 

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 非常に大きな神社で、結婚式やお祭りなども行われているもよう。だが我々はそのことをよく知らなかった。なおここに来ることを決めた理由は後述の「あぶり餅」である。
 朱色の美しい楼門を通り抜け、広い境内の中へ入る。いや〜マジで広い。京都の神社ってどこも広いんだな……うちの実家の寂れた神社たちとは大違いだ……としみじみ思うあやめである。

 

 少し進むと中央に大きな拝殿があり、その中に三十六歌仙の絵が飾ってあった。

 

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 わぁ歌仙だ!と、ただの由来でしかないのわかっているものの微妙にテンションが上がる。オタクだからしょうがないと思う。

 

 拝殿をこえ本社に行き、旅の無事と餅目的で来たことを謝罪する。その後探索がてら本社の左側を歩いているときだった。ザウリさんが「あれって……」となにかを指さしたのだ。

 

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 おおお織田ーーーーー!?!?!?

 

 なぜか織田の家紋がある。どういうことだ???と慌ててぐぐる我々。どうやらここは『織田稲荷社』という、織田信長を祀っているところということが判明した。なんだと……ふらっと来たら信長がいたよ……偶然にしてはすごいな……憑りつかれたのかもしらん……と戦々恐々とする私であった。

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 至る所にこのようなハートマークがたくさんついていてかわいかった。ザウリさんに教えてもらったがこれはハートマークではなく「イノシシの目」だそうで、縁起のいい模様なのだとか。後に回る神社や寺にも同じくハートがたくさんあるのが確認できた。

 一通り探索をした我々は社務所に御朱印をお願いする。ここの御朱印がすごくかわいらしい。2面で今宮祭りの傘の印だ。更に半紙にも今宮祭りの模様が入っている。今回お邪魔したところの中では断トツのかわいらしさだったので、御朱印巡りをする方はぜひ寄っていただきたいと思う。

 

 さて、参拝の後はお待ちかねのあぶり餅である。あぶり餅は今宮神社の名物で、一口サイズにちぎった餅にきな粉をまぶし炭火であぶって白みそダレを絡めているらしい。日本最古の和菓子屋だそうで、ネット記事にたくさん特集が組まれているので来る前に調べておくとより楽しめると思う。

 

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 表参道には2軒のあぶり餅屋さんがあるが、今回は客引きのお姉さんの京都弁が非常にかわいらしかった「一和」さんにお邪魔した。外の椅子で食べることもできたが、その日はとても寒かったので、小さなお庭に面した温かいお部屋で食べることにした。

 お茶を飲みながら待つこと数分、ようやく餅が出てきた。

 

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 なにこれやばいマジでウマい(何度目かわからない語彙喪失)一番最初に来るのはガツンとした焦げの強い香りと苦さ。だがすぐに白みそダレの甘味と塩味が追いかけてくる。ほぼ同時に白みそのもったりとした風味ときな粉の優しい味が広がっていき、とろりと柔らかい餅が歯に食い込んでくる。

 「なにこれ!?」「めっちゃおいしい!」とバカみたいに同じ言葉を繰り返しながら、ものすごい勢いで食べ始める食い気の塊×2。結構な量に見えたのだが、5分もしないうちに皿は空になってしまった。

 

 疲れが一気に吹き飛んだ我々は、小休憩の後に次の目的地へと向かうことにした。

 

 

大徳寺の高桐院

 

 今宮神社から少し下ったところに大徳寺という非常に大きなお寺がある。ここはかなり戦国武将たちと所縁のある地で、例えば秀吉と利休が大喧嘩して絶交した場所、利休のお墓、前田利家織田信長大友宗麟菩提寺などなど、めっちゃたくさんあるのだ。

 できることならば全ての場所を回ってみたいところではあったが、時間の関係上一ヵ所しか回れないので今回は「高桐院」のみお邪魔することにした。

 

 「高桐院」は、歌仙兼定の持ち主である細川忠興が建てた寺である。中には忠興とその正室のガラシャの墓と、歴代の細川家の墓もある。今回は刀剣乱舞に重きを置いた聖地巡礼であったためここを選んだ。

 

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 竹林の中にひっそりと佇むお寺は静寂そのものだった。先ほど見てきた黒と金と朱色の空間とは全く異なり、木々と苔の緑の世界が広がっている。あまりの光景に私は言葉を失った。

 

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 石畳の上を一歩、一歩、ゆっくりと歩みを進めていく。なにか特別なものがあるわけではない。竹や紅葉などの木々の間に、びっしりと苔が生えているだけだ。それだけなのに、現実ではないような感覚に陥る。均整の取れた苔たちがこんなに美しいなんて私は知らなかった。

 

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 藁葺きの屋根にも苔が生えていた。ここに眠る彼らが生きていた時代と、なんら変わらないものがあるのだと実感し、胸が締め付けられる。息絶え絶えになりながらも、私たちは更に置くへと進んでいった。

 入場料を払い中へと入ると、目の前にいくつもの木々や草が生い茂る日本庭園が見えた。

 

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  紅葉が多いようなので、秋には真っ赤な美しい世界になるのだろう。秋にもう一度来たいと思った。

 さて、お墓へ行く前にまず中の探索をせねばなるまい。
 
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 室内は庭と同様大きな派手さはない。だが部屋や照明などの装飾にはセンスの良さが感じられる。金ぴかで絢爛豪華な装飾も嫌いではないが、こういった品のよいもののほうが私好みである。
 中にあるお仏像様の前へ行き、不躾に歩き回ることと写真を撮らせてもらうことをご了承いただく(ほぼ事後報告だけど)その後に向かった茶室の床の間には「一鳥啼山更幽」と書かれた掛け軸が飾ってあったのだが、「鳥」の字がかわいい鳥の絵になっていた。住職さんの作品らしく、そのお茶目さにめっさ和んだ(笑いすぎて写真撮り忘れました)(ググれば出てくるので見てみて)
 

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 正面は広い庭になっている。先ほど見かけた庭園と違い、こちらは灯篭が一つあるだけだ。赤い布に座りながら苔色の世界をぼんやりと眺めているのはとても素敵な時間だった。
 
 いよいよ墓へ向かおうと、庭に下りる。
 
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 庭を歩いていると妙なものを見つけた。
 
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 さすが虎を倒したこともある加藤清正。上司に石をプレゼントするなんて、度胸ありすぎだろう。絶対嫌がらせだ。そこにしびれる憧れる。でもなんか忠興喜んじゃってるし。なんで参勤交代のときも持ち歩いてるの?宝物なの?もうこの人よくわかんない……とりあえず石運び係になった人の心中をお察しするわ……。
 
 そのまま進んでいくと、庭の奥にようやくお墓を見つけた。
 
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 珍しい灯篭のお墓だった。供えてあるお花も水仙で、すごく忠興らしいような気がした。
※さすがにそこに遺歯があるので写真を撮る前に全力でお祈りしました。もう土下座レベルで。
 ガラシャと忠興が一緒のお墓に入っているところが、実にこの夫婦らしいと思う(夫婦が一緒の墓になっているのは稀な気がしたので)。死後もこのモラハラヤンデレ男に振り回されているだろう彼女のことを考えると、同じ女として同情を禁じ得ないのである。
 
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 お墓の周辺もやはり苔が密集して生えている。枯れた木の幹の上に苔がむし、その下から新たな芽吹きが出ている場所があった。なんだか感動的な光景だ。だいだらぼっちみたい。
 因みにこの奥には歴代細川家当主の墓もある。なぜ忠興だけ別なの……しかも嫁さんと一緒……ちょっと面白くて笑ってしまった。
 
 時間も迫っているため入り口に戻った我々は、先ほどとは逆の右側の廊下を進んでいく。
 
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 薄暗い空気が漂っていた。妙に寒いし……日陰で気温が低いせいなのだろうか?そんなことを考えながら冷える身体を擦りながら歩いていくと……。
 

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 ぎゃあああああああああああ!!!!!!!!

 
 怖い!とにかく怖い!写真では分かりにくいだろうが、壁から天井まで染みだらけで、それらがさらに酸化して灰色なのだ。まるで廃墟のよう。かなり異様な光景だった。いきなりのことで二人揃って腰が抜けそうになる我々。
 近くにある説明書きを読むと、移築された利休の部屋であることが判明した。これはわざとなのだろうか?これが侘び寂びというものなのだろうか?ほんとに?ただそのままにしてるだけでなく?中々に不気味だったのでヒヤリとしたい人にはおすすめのスポットである。
 
 よろよろしながらも先に進んでいくと、今度は小さな部屋に行き着いた。
 
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 細川忠興の作った茶室であった。おおお!と感嘆の声を漏らす我々。真昼間だというのに光は差し込まずかなり薄暗い。壁は黒色で、茶室にしては珍しい色のような気がする。後で調べたところ、ここは豊臣秀吉の催した北野大茶会の際に忠興がつくった茶室を移築したものらしいことがわかった。結構すごい茶室であるもよう。
 ただ正直言って、すごくわかりにくい場所にある。なんでこんなところに移したんだ……見逃している人たくさんいるぞ……さすが忠興、残念イケメンなだけある。元々ネタキャラとして見ていた忠興の扱いがより雑になっていくあやめであった。
 
(後編へ続く)